admin 2016年5月13日 京都府立医科大学ヨット部 エールとVICTORY賛歌 へのコメントはまだありません
京都府立医科大学ヨット部エール
北山 修 作
(僭越ながら、エールを披露させていただきます。)
天真爛漫 月おぼろ 今宵も名月 琵琶湖を照らす
我らが学舎より 日いずる所に 紫雲たなびく霊峰叡山あり
さらに叡山より 眼下三千尺見おろせば
三井寺の風受けて 滑る 我らがヨットあり
白き三角の帆をたかぶかせ 滑る 我らが緑のヨットあり
聞け 青春の雄たけびを
見よ 赤銅の肉体を
ヨットで鍛えし この体
また赤銅の腕に舵握る時
ああ 楽しきかな 勇ましきかな
我が青春に悔いは無し
フレー フレー 京府
フレー フレー 京府
フレー フレー 京府
フレー フレー 京府
(応援のフレー フレー 京府)
「我々が現役部員のころは、ヨット部にはエールがあり、試合前のエール交換会、新入生歓迎コンパ、追い出しコンパなどでは、必ずエールを聞くことが出来た。私も長い間エール係をしていたので、現役部員の頃はもちろん、卒業してからも、何人かのヨット部員の結婚式で、エールを披露させていただいた。ヨット部エール係4代目として、この機会に、エールの歴史を書こうと思う。
このエールは、現在九州大学教育学部の教授をされている、北山修先生が作られたという話は、以前より聞いていた。さらに詳しい話が聞けたのは、1998年8月8日、京都ホテルで開催された、ヨットブ創立50周年記念パーティーの席であった。白坂誠一先生によれば、昭和41年、関西学院大学から京府のヨット部に対して、琵琶湖で試合をしたいという申し出があったとのこと。後日談では、その年のインカレが琵琶湖であり、その練習をしたかったようである。(関西学院大学は)試合でも強いが、色々なエールや芸を持っている。それに引き換え、我が京都府のヨット部は何もなかった。そこで、白坂先生が当時1回生であった北山さんに「何か作ってくれ」と、依頼されたとのこと。こうして、北山先生が、一晩でこのエールをつくられたそうである。
そして、北山・千丸・山際・佐野・石渡・山根・下出と伝わっていったのであるが、そのうちに自然消滅したようである。
我々が現役のころは、試合前の交歓会が盛んで、伝統芸・即興芸を披露し合いながら、よく酒を飲みあったものである。昭和48年、京府・京大医・神大医の3校戦の時、即興で作ったのが、VICTORY賛歌である。現在覚えている。当時の名物芸(?)には、次の様な物がある。
小山正雄:あんたディレクターか?、竹内茂和:ディンギー数え歌
佐野 敦:青い山脈、伴信太郎:丘をこえて、三浦春城:追試歌
山根行雄:鳥取名物しゃんしゃん踊り、井上 望:祇園小唄」
最近は、ヨット部もスマートになり、このような泥臭い芸もなくなったようである。これも時代の流れであろうか。ともあれ、ヨット部の先輩や後輩の顔を見るにつけ、若き血が騒ぐのは、同じ釜の飯を喰ったおかげである。
京都府立医科大学ヨット部の益々の発展を記念して筆を置きます。
(佐和追記:下出先生のあと、s60卒大西和彦先生が8代目?エール係であった!その後は把握しておりません。。。)
VICTORY賛歌
走れ 走れ 京府
走れ 走れ 京府
勝つぞ 勝つぞ 京府
勝つぞ 勝つぞ 京府
V・I・C・T・O・R・Y(1人1人が体全体を使って、文字の形を作る)
VICTORY
HEY、EVERYBODY
ONCE AGAIN
VICTORY!!!
以上 ヨット部50周年記念誌「京都府立医科大学ヨット部エール」 松下健康保険組合松下健康管理センター 昭和医52年卒ヨットブOB 佐野敦先生よりの転記