8月5日 練習

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お疲れ様です!1回生マネの上島です。

今日は午前は帆走、マーク練習、スタート練習を行いました。

午後はマーク練習、帆走、スタート練習、回航練習を行いました。

今日は西医体まで残り少ないため、OBの先生方と練習しました。

風がよく変わりマークをうつのが、難しかったです。

明日は西医体のレセプションです。

初めての西医体頑張ります!!

⛵⛵⛵コラム⛵⛵⛵

お疲れ様です。5回生プレイヤーの橋田です。

いよいよ西医体本レースまで残すところあと4日となりました。練習も残すところ8/6の午前のあと一回となり、現役として出艇できるのもあと残りわずかとなりました。まだやり残したことはたくさんあるし、やっとヨットの走らせ方をわかってきたのにもう引退か…と思うともっと真面目にヨット生活を送って良けばよかったな〜と思います。

自分が1回生の頃はまだまだコロナが全盛期だった頃で、西医体が中止となり、ちょうどその時期に新歓が解禁され、「西医体がないなら、部員をとりあえず入れよう!」と熱心な勧誘を受けて入部しました。初めてハーバーに行った日は夏の風のない暑い日で、僕にトラピーズを経験させるために、クルーの先輩が下デッキで頑張ってトラピーズで伸びてくれていたのを覚えています。(風のない時の470の新歓あるあるですね。)

当時4回生の先輩方もコロナによる部活禁止期間のため、スキッパーの経験が浅く、スキッパー1年目/1回生ペアで練習していました。本来、スキッパーのことに精一杯なのに、1回生のクルー教育もしながら部活を運営していくというのは、当時の先輩方の計り知れない心労があったと思います。

しかしキャラが濃い”おもろい”先輩はそんな心労を見せずに、部活が楽しくなるよう、気を回してくださいました。

1回生の時の部活のイメージは「きついし、朝早いからしんどいけど、部活行ったらなんかわからんけど1日過ぎてて面白い」部活でした。

その後、翌年も西医体が中止となり、当時5回生となった自分のスキッパーの代の先輩方が失意の中、引退され、当時2,3回生だった新人スキッパー4人となんとか春の新歓で入部してくれた新入生4人の新チームが始動しました。

新チームが始動する前の8月の夏、新人スキッパー4人2艇で琵琶湖でずっと練習していました。当時は4人しかおらず、ハーバーに知り合いもおらず、「この部活はもうなくなるかもしれないな」とどこか心の中で思っていました。

その後、コロナの影響がなくなり4月から新歓が解禁されました。絶好の新歓日和が続き、多くの新入生(自分のクルーの代ですね!)が入部してくれました。丁度この年に4年ぶりの西医体が琵琶湖で開催されることになり、前主将の東郷や競技委員長の谷内を筆頭に、部活が一丸となって西医体に向かって突き進んでいけました。ハーバーの皆さんや、遠方から来てくださるレース運営の方にも協力いただいて、なんとか無事に終えることができました。当時の京府医ヨット部の勢いはすごかったと思います。この時に感じたのは、大事なのは周りから応援されるような、注目されるような部活を作ることが重要ということです。

琵琶湖西医体が終わり、まさかの自分が主将になりました。「他人任せやし、ヨットも下手やし、適任ではないのでは…」と思いましたが、なぜか反論を許されず一年間キャプテンを務めさせていただきました。部活運営も満足にできたとは今でも思えないし、先輩や同期に頼り切りだったし、今でもお飾りの主将だったと思います。色々間違いもしたし、怒られたし、でも部員は黙ってついてきてくれました。主将が頼りないからか、部員の” 当事者意識”は強く、みんなが主体的に部活に参加してくれました。西医体総合優勝は、僕の手柄じゃないので書けません。

5回生となり、ついにエーススキッパーになりました。今までは2番艇で注目もされてなかった選手がいきなりエースとして部内でも見られるわけです。ヨットの勉強も全くしてこなかったし、動画も見ていない、走らせ方がわからない、セールの形がわからない、成績も出ていない。エースとして認められるわけがない。

言葉には出さないけれど、部員が自分の実力に疑問符を浮かべているのは明白で、それに対してなんとか合格点に達するよう、この一年間は真面目に練習したつもりです。いまだに、合格点には達していないですが、もう時間もないので今の自分にやれる最大限のことを準備して臨みたいと思います。

P.S. 僕が470を選んだ理由はクラス決めのLINE投票で投票するのを遅れてしまい、人数の兼ね合いから消去法的に470になったという経緯があります、、

望遠鏡で観察中の橋田さん